諫言を受け入れる度量が重要であることは歴史からも学ぶことができます。
私は、『太閤記』で秀吉が周囲からの諫言を受け入れなくなっていく姿が印象的でした。
歴史上の失敗したリーダーの多くは
周囲からの諫言を受け入れず、独善的になることで転落していきます。
組織のリーダーになるような人たちもまた
自身の若いころの経験や、歴史からの学びを通じて
「諫言を受け入れる」ことの大切を知っているはずです。
組織のリーダーに選ばれるような人たちは
知っているだけでなく
多くの場合、太閤記の秀吉のように
ある時期までは諫言を受け入れることができています。
諫言を受け入れることで求心力をもち、
諫言を受け入れることで変化・成長して
課長→次長→支店長→部長とより大きな括りのリーダーになっています。
それが
どこがでできなくなってしまいます。
すると
求心力がなくなり
成長も止まります。
「どうしてだろう?」と思っていましたが
私自身がリーダーの職責になったことで
わかったことが多くあります。
知っていても
わかっていても
「諫言を受け入れる」を実践すること、
「諫言を受け入れる」を実践し続けることは
たいへん難しいということを身に染みて実感しました。
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